公と私を結ぶ―東南アジアから考える新しい共生のかたち
日時:2012年1月8日(日) 午前10時~午後6時
会場:京都大学稲盛財団記念館 大会議室
【趣旨】
公がなければ社会は成り立たないという。はたしてこれは本当であろうか。公を背負って生きることを是とする現代社会は、そのことが何かゆがみをもたらす可能性はないだろうか。人はよりよく生きるために公と私をどのように結びつければよいのか。本ワークショップでは、このことを念頭におきつつ、東南アジアにおける公と私の関わりについて考えてみたい。
東南アジアについて論じたこれまでの研究には、主に文書資料を通じて、王朝史、植民地統治史、国史(ナショナルヒストリー)の形で公権力の展開から社会を描こうとする視座と、オーラルヒストリーや声なき語りに耳を澄ませ、民衆から社会の営みを描こうとする視座という大きな二つの潮流が存在した。これら二つの流れは、東南アジアという地域の中で起こるさまざまな事象をいずれかに切り分けられた世界のできごととして描き出すことに一定の成果をもたらしたものの、それらを一つの統合された空間の中に位置づける試みとしては十分に成功してこなかったように思われる。しかし現実に目を向けてみれば、私たち一人一人は、公と私、その両方の側面を併せ持ち、そのはざまで葛藤を抱えながら折り合いをつけて生きている。これを研究の視座に読み替えてみれば、公権力と民衆が一つの社会をつくってきたという視点から東南アジア社会を捉える必要があるのではないだろうか。
この関心をふまえて、本ワークショップでは次の3つのパネルによって東南アジアにおける公と私の問題を議論したい。
第一パネルは「文書と語り――王国・植民地期の地方統治」である。ここでは、さまざまな権力が重層的な構造をなしていた世界から、統一された、単一の公権力が支配する世界へと移り変わるなかで、地方に生きる人々と国家権力との関わりを明らかにする。
第二パネルは、「都市と辺境――領域国家形成期の人の移動」である。ここでは、公権力が複数存在する世界において、その統治領域のあいだに引かれた境界を、意図的にあるいは不可避的に越境していく人々の営みと、それを管理しようとする公権力のせめぎ合いを描き出す。
第三パネルは、「寺と学校――ポスト開放期における公・私関係の再編」である。冷戦が終結し、グローバルな空間に人々が投げ出されてから20年が経過した今日、人々は、公権力が設定した境界を軽々と飛び越え、より良い生き方を求めて、自らの手で積極的に世界における位置づけを選択するようになった。本パネルでは、現代社会における公権力と個々人の生活との間に生じた新たな変化を検討する。
以上により、東南アジアにおいて公と私を結びつけようとしてきた東南アジアの人々の営みを明らかにし、新しい共生の可能性について考えてみたい。
【プログラム】
総合司会 西芳実(京都大学地 域研究統合情報センター)
開会の辞 速水洋子(京都大学 東南アジア研究所)
趣旨説明
10:15-11:40 第一パネル「文書と語り――王国・植民地期の地方統治」
報告① 増原善之(京都大学地域研究統合情報センター研究員)
「動く住民、追う権力:前近代ラオス在地社会における人々の移動とその管理について」
報告② 坪井祐司(東洋文庫研究員)
「イギリス領マラヤ・スランゴルにおける地方行政区画の成立と現地社会」
コメント 飯島明子(天理大学国際学部)
討論
11:40-13:00 昼食休憩
13:00-14:25 第二パネル「都市と辺境――領域国家形成期の人の移動」
報告③ 長田紀之(東京大学大学院)
「植民地港湾都市と「国境」の出現:英領ビルマにおけるインド人移民統制をめぐって」
報告④ 王柳蘭(京都大学地域研究統合情報センター・日本学術振興会特別研究員)
「移動とネットワークが生み出す共生的世界:北タイの雲南系ムスリム」
コメント 早瀬晋三(大阪市立大学 大学院文学研究科)
討論
14:40-16:05 第三パネル「寺と学校――ポスト開放期における公・私関係の再編」
報告⑤ 小林知(京都大学東南アジア研究所助教)
「修行、公的教育、アジール:現代クメール人の出家行動の動態と多義性」
報告⑥ 伊藤未帆((東京大学社会科学研究所・日本学術振興会特別研究員)
「〈民族〉と学校:進学をめぐる少数民族優遇政策と私的選択」
コメント 速水洋子(京都大学 東南アジア研究所)
討論
16:05-18:00 総合討論
司会 山本博之(京都大学 地域研究統合情報センター)
コメント 小泉順子(京都大学 東南アジア研究所)
コメント 林行夫(京都大学 地域研究統合情報センター)
コメント 古田元夫(東京大学 大学院総合文化研究科)
討論
閉会の辞 山本博之(東南アジア学会/ 京都大学 地域研究統合情報センター)
【主催】
地域研究コンソーシアム(次世代地域研究ワークショップ)
京都大学東南アジア研究所
京都大学地域研究統合情報センター
東南アジア学会
【共催】
東南アジア学会関西例会
「 国家と社会」研究会
【報告要旨】
第1パネル「文書と語り―王国・植民地期の地方統治」
報告者1:増原善之(京都大学地域研究統合情報センター研究員)
「動く住民、追う権力:前近代ラオス在地社会における人々の移動とその管理について」
同時代史料が極めて限られている前近代ラオスにおいて、王国政府の支配のありようを具体的に論じることは困難であるが、数少ないランサン王国期行政文書からは「地方統治」とは言うものの、国王は地方国の首長とゆるやかな上下関係を取り結ぶにとどまり、地方国の首長ですら在地社会の住民の管理にかなり手を焼いていた様子がうかがえる。上記行政文書に加えて、当時の外国史料や慣習法等を手がかりに、「公」の意に反して、課役からのがれるため、あるいは交易に携わるために、思いのほか自由に移動を繰り返していた「私」の姿を明らかにしつつ、改めて「私」と「公」との関係について考えてみたい。
報告者2:坪井祐司(東洋文庫研究員)
「イギリス領マラヤ・スランゴルにおける地方行政区画の成立とマレー人社会」
マレー半島においては、植民地化とともに河川を基軸とした社会に領域性を持った行政区画が導入された。本報告では、19世紀末の植民地化直後のマレー半島・スランゴルにおける地方行政制度の構築過程をとりあげ、公的秩序の変化とそれに対する現地社会の対応を考察する。イギリスが植民地化以前に王権が使用していたクアサと呼ばれる委任状を利用して地方行政の制度化を図ったのに対して、現地の住民も自らの首長の公認を求めて政庁に働きかけた。両者の新たな秩序構築への模索を通じて、この地域のマレー人社会における公権力に対する認識を明らかにしたい。
第2パネル「都市と辺境―領域国家形成期の人の移動」
報告者3:長田紀之(東京大学大学院)
「植民地港湾都市と「国境」の出現:英領ビルマにおけるインド人移民統制をめぐって」
ビルマは英領インドの一部として植民地化され帝国の穀倉となった。米産業の興隆はラングーンなどの港湾都市に大量のインド人労働者を引きつけた。そうした流入に極力制限を設けず労働力供給量を維持することが植民地経営の基本方針であった。しかし、インド人の大量流入は公衆衛生や治安に関わる統治上の問題をももたらし、ビルマの植民地行政官たちは労働力の供給量を損なわない形で移民統制を敷く必要性に迫られた。本報告では、公権力とはいえインドの一地方行政体に過ぎなかったビルマが、私的なヒトの移動を統制しようとする過程で、インドの他地域から自らを区別する領域として立ち現われてくる様子を描写したい。
報告者4:王柳蘭(京都大学地域研究統合情報センター・日本学術振興会特別研究員RPD)
「移動とネットワークが生み出す共生的世界:北タイの雲南系ムスリム」
北タイの雲南系ムスリムは、19世紀末から20世紀末にかけて、アジアにおける国際関係ならびに中国、ミャンマー、タイ国内の政治的、経済的、軍事的諸環境等のマクロな社会変動に規定されつつも、複数の準拠枠を用いながら、時代に応じて異なる他者と多元的にネットワークを取り結んできた。20世紀半ば以後の「脱難民化」の過程において、タイ化を進める政府に対応しながら、雲南系ムスリムは他民族とイスラームにおいて宗教的側面で結びつき、他方、華人として異郷に生きていくすべを漢人との関係性や中華世界に求めていった。こうした多元的な連帯の在り方を模索する雲南系ムスリムの自律的な戦略から、移民があらたに生み出す共生的世界を考えてみたい。
第3パネル「寺と学校―ポスト開放期における公・私関係の再編」
報告者5:小林知(京都大学東南アジア研究所助教)
「修行、公的教育、アジール:現代クメール人の出家行動の動態と多義性」
東南アジア大陸部の低地には、上座仏教を信仰する人々が多く住む。そこには寺院があり、仏陀が教えた修行生活を送る僧侶がいる。僧侶は仏教秩序の担い手である。ただし、その多くは一定期間の後に還俗し、世俗に戻る。その僧侶らに出家の理由を問うと、多くの場合、仏教の振興に寄与したかったなどの公的な説明が返される。しかし、そこには、生まれた場所を離れて外の世界を見てみたい、都市で世俗教育を受けたいといった動機もある。さらに、公権力からの迫害を逃れて移動する僧侶もいる。本発表は、今日僧侶となることを選んだクメール人男性らの人生を、発表者が近年、カンボジア、タイ、ベトナムで得た資料をもとに検討する。そして、仏教という宗教の領域における公と私の今日的状況について考えたい。
報告者6:伊藤未帆(東京大学社会科学研究所・日本学術振興会特別研究員)
「〈民族〉と学校:進学をめぐる少数民族優遇政策と私的選択」
ベトナムは「54」の公定民族を抱える多民族国家である。1979年の民族確定工作以降、ベトナム政府は一貫して「民族」を固定化されたものと捉え、その枠組みを超えて営まれる人々の動きについては、ほとんど関心が向けられてこなかった。ところが市場経済が導入され、国際社会に開かれた今日のベトナム社会では、自らのよりよい暮らしを実現するためのツールとして、「民族」の枠組みを積極的に利用しようとするあり方が表面化しつつある。本報告では、大学進学を目的とした優遇政策の恩恵を受けるために、少数民族であることを戦略的に利用する人々の動態と、ベトナム政府の対応を題材に、現代ベトナム社会における公と私のせめぎあいについて明らかにする。