2013 年9 月11 日、マレーシアのクアラルンプールで国際セミナー「遺産から展望へ(From Tradition to Vision)」が開催されました。地域研は、東南アジアの現地語文書の保全と教育・研究への活用のため、マレー語雑誌デジタル化プロジェクトを進め、マレーシアの研究・教育組織クラシカ・メディアの協力のもと、ジャウィ文字(アラビア文字表記のマレー語)で書かれたイスラム雑誌『カラム』(1950~69 年)のローマ字翻字と記事のデータベース化を進めてきました。このたび、『カラム』記事データベースの一般公開およびデジタル版『カラム』の刊行を発表し、それに合わせて地域情報学による文献保全と『カラム』研究を組み合わせたセミナーを開催しました。
セミナーの会場には、『カラム』の創刊者で20 年にわたって編集長として刊行を続けた故アフマド・ルトフィ(エドルス)の4 人の子息が臨席し、地域研の林行夫センター長より『カラム』復刻版が贈呈されました。創刊者の子息たちは、44 年ぶりにデジタル版として復活した『カラム』を閲覧して、亡き父の思いを語り合っていました。
ジャウィは東南アジアのマレーシアやインドネシアで広く使われていましたが、ローマ字化が進んで20 世紀半ばまでには日常生活でほとんど使われなくなりました。近年、マレーシアではジャウィの重要性が再認識され、小学校でジャウィの読み書きが教えられるようになりましたが、教材も一般の読み物も不足しています。
『カラム』は、政治家や宗教的権威に批判的な態度を取ったためにマレーシアの公立図書館には体系的に収集・所蔵されていませんが、同誌はマレーシアが独立を経て開発体制を迎える直前の20 年にわたって刊行された雑誌で、当時の一般のムスリム住民の動向や考え方を知る貴重な資料です。
セミナーのある出席者は、自分が子どもの頃、雑誌を乱雑に扱って床に放ったままにしても叱られなかったけれど、『カラム』だけは放っておくと「これは遊びの書物ではない」と父親に叱られ、部屋の一段高いところにコーランと一緒に置かれたと語り、『カラム』が「骨のある」雑誌だったことを紹介するとともに、この雑誌に絡めて父親の思い出を紹介してくれました。
筆者が『カラム』に関心を持ったのは、今日のマレーシアで広く見られるナショナリスト史観とは異なるマレーシア像を描いていたためです。創刊者のアフマド・ルトフィはカリマンタン島生まれのアラブ系ムスリムで、マレー民族意識が高まっていた1930 年代のシンガポールでマレー人コミュニティから排除され、自前の雑誌を創刊してマレー民族主義ではなくムスリム同胞を呼びかけました。今日のマレーシアで高まっているマレー民族主義を相対化する格好の資料です。
ところが、セミナーでは、マレーシアの若い研究者たちが『カラム』をマレー民族意識の高揚のために書かれた雑誌と紹介していました。これは筆者の『カラム』理解とまるで反対で、その主張には全く納得できないのですが、このプロジェクトの発案者である私の意向を気にしたりせず彼らなりの関心に即した読みが紹介されたことをたいへん頼もしく感じました。もともと地域研が始めた『カラム』プロジェクトは、すでに現地社会のものとして動き始めています。『カラム』研究の学会が設立され、ジャーナルも創刊されています。議論の下地は整ったため、今後は『カラム』の内容をめぐってマレーシアの人たちと大いに議論していきたいと考えています。(山本博之、CIASニューズレターNo.14より)
CIASニューズレターNo.14
『カラム』雑誌記事データベース
「ジャウィ文献と社会」研究会