マレーシアでは、自分たちの社会が持つ「歴史の宝庫」(khazanah sejarah)を掘り起こし、失われないように保存するとともに時代にあわせて発展させていこうとする動きが見られます。「歴史の宝庫」と言ったときに主に念頭に置かれているのは、ジャウィ(アラビア文字を用いたマレー語表記)で書かれた古文書、特に植民地期以前に王宮で編まれていた王統記・物語やイスラム学者による宗教書などです。
確かにこれらはマレーシアおよび近隣諸国を含むマレー世界の思想的・文化的な基盤を形作っている文献であり、その重要性は言うまでもありません。その一方で、20世紀になって刊行されるようになった新聞や雑誌などの定期刊行物は、マレーシアの図書館等で収集・整理されてはいますが、古文書に比べるとあまり重要性が認識されていないように見受けられます。
しかし、外国人の目から見たとき、マレーシアが世界に誇るべき「歴史の宝庫」とは、植民地期から独立・建国期を経て今日に至る50年間から100年間の経験です。マレー系ムスリム、中国系、インド系というそれぞれ世界の大文明の担い手を自任するコミュニティが集まり、殺し合いはもちろんのこと、殴り合いも奪い合いもせずに安定して発展した社会を実現させています。その経験こそが
このように言うと、当のマレーシア人たちは、マレーシアの社会にも互いにいがみ合っていて、それほど理想的な社会ではないと言います。確かにそのような面はあり、最近その側面が強くなりつつあるのは懸念されるところです。でも、人々が集まったときに互いに気に入らない人がいるのはどの時代にもどの地域でも見られることであり、マレーシアでそれが特に激しいというわけではありません。
むしろ注目すべきだと思うのは、「共生」と言ったとき、私たちは各構成員が互いに愛しみあう理想的な共生を思い浮かべがちですが、マレーシアでは決してそうではなく、気に食わないと思う相手とでも挨拶をしたり食事で同席したり互いの家を訪問しあったりできる点です。マレーシアの人々には、気に食わない相手に対してでも、少なくとも人前では、そしてその相手に向かっては、形式的であっても最低限の敬意を払い、その場で波風を立たせずに進めていくという知恵があります。理想的な共生に対して、リアリスティックな醒めた共生とでも言えるでしょうか。決して理想的だとは言えないでしょうが、互いに相容れない人どうしが大きなトラブルとなることなく集団生活を送るための知恵があります。
マレーシア社会が世界に誇るべきなのは、このリアリスティックな醒めた共生なのではないかと強く思います。そして、それを知るためには、この100年間の経験、とりわけ脱植民地化期・建国期にマレーシアの人々が自分たちの国や社会をどのように作り上げようとして互いに議論を戦わせていたかがとても重要です。それを知るには、政府や役所の報告書ではなく、当時の新聞や雑誌の記事から断片的に情報を見つけて組み立てていく方が適しています。新聞や雑誌は、マレーシアの「歴史の宝庫」を知るための絶好の資料なのです。
本センターの地域情報学プロジェクトと公募共同研究により進められてきたマレー語雑誌データベースプロジェクトでは、現地語文書の保存と言ったときに古文書だけでなく新聞・雑誌も同じように重要なのだと機会があるたびにマレーシアで言い続けてきました。それはまだまだ主流の考えにはなっていませんが、その考えに納得してくれるマレーシアの人たちも増えてきたように思います。(山本博之)
センター教員がマレーシアのテレビ番組に出演して『カラム』雑誌記事データベース・プロジェクトについて紹介しました
">マレー語雑誌記事データベースに関する本センターとマレーシア国立言語出版局の共同記者会見の様子がマレーシアの『Berita Harian』紙で紹介されました
『カラム』雑誌記事データベース・プロジェクトがマレーシアの『Utusan Malaysia』紙で紹介されました
CIASとコタブク(マレーシア)の学術協力協定締結がマレーシアの『Berita Harian』紙で紹介されました
『カラム』雑誌記事データベース・プロジェクトがマレーシアのテレビ局『al-Hijrah』で紹介されました
『カラム』雑誌記事データベース・プロジェクトがマレーシアの『Berita Harian』紙で紹介されました